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「耳が痛い」話をしてくれる人が周りにいるか
言われたこと、指示内容が理解できない社長
どんなに優れた社長でも、長く社長をやっていると、気づかぬうちに自惚れをしてしまうものです。とくに商売がうまくいったり、考えたことが当っていくと、知らず知らずのうちに、「自分には才能がある」「なんでもできる」といった、一種の「全能感」を持ってしまいます。
社長業とはいわば、この全能感との戦いと言ってもいいでしょう。いつの間にか染み付いてしまった全能感に気づき、そこで「自分に足りないものは何か」、「まだまだ勉強することがある」と謙虚に受け入れられるか否かで、その社長、その会社の未来が決まってきます。

先日、私が開催したセミナーでこんなことがありました。
講演の最後に「何かご質問はありますか」と尋ねたところ、出席されたある社長さんが手を挙げたので、質問するのかと思ったら、ご自身の経営に関する「演説」を始めました。
困った--と思いましたが、そのうち演説を聞かされていた他の社長さんが、「あなたの演説を聞くためにここへ来たのではない、先生は『質問はありますか』と聞いているのだ」と言い、その演説をしていた社長さんと口論になってしまったことがあったのです。
この社長さんなど、おそらくこうした全能感にとらわれた方の典型かと思いますが、実際にこういう社長さんは多いものです。
これは発達心理学でいう「指示理解」ができていないために起こることです。指示理解ができないと、「こうしてくださいね」といった時にその内容が理解できず、全然違うことをしてしまう。
ちょうど幼い子供に「じっとしていてね」と言っても、じっとできないのと同じことです。質問をお願いしているのに演説を始めてしまうのは、この指示理解ができていないことの表れと言えます。
こういう状態は、その社長、もしくは会社が大きな病に罹(かか)っている可能性があるのです。
ダメ出し専門の臣下を置いた唐の名君・太宗
残念ながら全国を回ってみても、こうした中小企業経営者は多いのです。
私はコンサルタントとして研修を行うことがありますが、経営者限定の場合、だいたい皆さん5分、10分遅れて来る。中には30分くらい遅れてくる人もいます。
ところが、これが社員向けの研修となると、20分くらい前には参加者全員が揃っているのです。しかも、そういった社員向けの研修は、遅れてやってくる経営者からの依頼を受けて行う研修だったりするのです。
社員にできて、なぜ社長にはできないのでしょう--。
小さなことかもしれませんが、私はそこに、いつの間にか染みついた無自覚な「自惚れ」や「全能感」があるのだと思います。
「人からあれこれ言われたくない」
「指図を受けたくない」
という奢(おご)りや過信もあるでしょう。
実はこのような、知らず知らずに取り付いてしまう全能感を、いかに排除していくかという問題は、1000年以上も前からのリーダーの悩みでした。
唐の二代目の皇帝「太宗(たいそう)」も、全能感と戦った人でした。1400年ほど前の人ですが、「貞観の治」と呼ばれる優れた政治を行い、中国史上最高ともいわれる名君です。
太宗は「諌議大夫(かんぎたいふ)」という、太宗本人に進言できる職制を臣下として置き、おかしいと思ったことを直言させました。
中国は儒教の国ですから、目上の人に意見しようものなら首をはねられかねません。しかし太宗は、逆に耳が痛い「ダメ出し」をする諌議大夫の職にある家来に金や食料など与え、自分を諌め忠告してくれることを奨励したのでした。太宗は、自らが皇帝として名声を高めるにつれ独善的となり、自分に都合のいい情報しか上がってこなくなることを恐れたのです。
つまり、経営者として成功していくためには、いつの時代もいかに周りの意見に耳を傾け、「今の自分に足りないものは何か」と謙虚に受け止め、学んでいくことに尽きるのです。
理不尽に怒られることの大切さ
かくいう私も決して例外ではありません。私もコンサルタントという仕事をはじめて10年経ちますから、知らないうちに自惚れや過信が生まれていると思います。
では、自分に取り付いた全能感を振り払うにはどうすればいいのでしょう。
一つは、耳が痛い話をしてくれる人を周りに置くことです。太宗のように「仕組み化」することができればベストでしょうが、なかなか勇気の要ることですし、そもそも仕組み化しても、それに「気付く力」がないと意味がありません。
私が薦めたいのは、趣味や社会事業などの活動に参加することです。私もいくつか趣味や社会事業の組織に参加していますが、自分の会社の経営とは違ってさまざまなことに気付かされます。なかでも強烈なのは、考え方の違いや文化の違いからメンバーと激論になったり、先輩から叱責されたりすることです。
その瞬間は「なんで怒られなければならないんだ」と理不尽な気持ちになりますが、それがいいのです。
先日も、ある組織の会合で先輩経営者から「何を考えているんだ」と怒られたのです。しかし、どう考えても自分が怒られる理由は見当たりません。この年になって怒られるなんて--と非常に頭に来たのですが、その場は不満を飲み込み、「申し訳ありません」と謝りました。
でも後になって思い返してみると、これが「いいな」と思えた。というのも、そんな風に怒られたことは、ここ暫くなかったからです。
人生には、理不尽なことがたくさんあります。理屈ではこちらが正論でも、ここは引いたほうがいい、謝ったほうがいい--そんな場面はたくさんあります。
今回の一件は、そのことを改めて気付かせてくれました。それゆえに、「ああ、こういう風に、理不尽に怒られるということは大切だ」と思うのです。
もう一つは、古典を読むこと。
太宗の諌議大夫の話は、1400年前に書かれた『貞観政要』に収められた話ですが、今でも十分通じます。ほかにも、多くの経営者に読まれ続けている『論語』や『大学』、『中庸』『孟子』、あるいは『三国志』など。三国志は国取り物語ですが、部下の育成法や情報の取り方、リーダーのあり方などが詰まっています。また、日本の江戸時代の『都鄙問答(とひもんどう)』なども商人の道を表したバイブルです。
これらの原典を読むのはなかなか難しいですが、幸い今はいろいろな解説書が出ています。一度、書店の古典コーナーなどを覗いてみてはいかがでしょう。いずれも耳が痛い話ばかりが載っていますが、一話、一フレーズを噛みしめ、謙虚に受け止める--。
これによって、染みついた全能感が少しずつ剥がれていくはずです。
2010/5/25